【体験談】介護と育児の「ダブルケア」!辛かったことや1日のスケジュールとは?

ダブルケアの経験談-車イスとベビーカーを押す木の人形 コラム

介護と育児を同時に行う「ダブルケア」

介護は大変
育児も大変
そもそも、人間、一人で生きていくってだけでも大変なのだから

それを同時にするなんて、もう本当に、ただただ大変。

…と、大変すぎて、ダブルケアをしているとこのように語彙力が低下してしまいます。

元はお堅いところでも書くお仕事をしていたのですが、出産して1年と4ヶ月。

もう「大変」しか出てこなくなってしまいました。

毎日が慌ただしく過ぎていき、心休まる時間なんてほぼありません。

こんにちは、大変なダブルケアラー、黒澤うにです。

厳密にいうと、私が介護しているのはパーキンソン病の父(要介護4)とアルツハイマー型認知症を患った母(要介護1)の2人なので、「トリプルケアラー」といった方がいいのかもしれません。

さらに大変なことに、育児はシングルマザーでやっていて、この状態でフルタイムでも働いています。

3人の人生を私1人で背負って孤立奮闘。

まさに毎日が戦いで、ギリギリ生きている感じです。

今回「ダブルケアの体験を5,000字程度で」と執筆依頼をいただいたのですが、果たしてこの語彙力で達成できるのか否か。

そもそも「毎日がギリギリなのに、きちんと時間を見つけて書き終えることができるのだろうか」と半ばチャレンジとしてこの依頼を受けました。

ダブルケア、大変すぎるので、もう逆境を楽しもう、笑ってやろうって考えないとやっていけません。

さぁ、Let’s チャレンジ!

この記事を書いたライター
ダブルケアの経験談-黒澤様黒澤 うに
「婚活しながら♡両親介護」というブログを書いていたのに、2019年にシングルで高齢出産、現在ダブルケア中。2017年秋より、認知機能の回復を見込めるリコード法を実践し、母親のMMSEを改善させ、NHKドキュメンタリー「大切な記憶は何ですか?〜アルツハイマーと戦う〜」で取材を受ける。
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介護者はケアされない「ダブルケア」

「ダブルケア」に、その主人公であるところの介護者、つまり私のケアは含まれていない。

他者へのケアで手一杯で、自分に構ってる余裕なんてない。

ダブルケアとは非常に辛いものだ、ということを痛感したのは、子どもを出産している最中でした。

ええ、真っ最中。陣痛を感じながら、痛感したのでした。

妊娠当初から、出産は実家から徒歩15分の総合病院で、と決めていました。

本当はお祝い膳が充実したオサレな産院が良いという気持ちもあったのですが、アルツハイマーの母が心配だったので近所の病院を選んだのです。

初孫誕生というイレギュラーなゴタゴタのために母の混乱が心配されました。

私は無痛分娩を選択し、出産予定日は決定していたのですが、分娩時に母に待っていてもらうにも介助する人間はいませんし、遅くなって外が暗くなったら近所とはいえ母が迷って家に帰れなくなってしまう可能性が考えられました。

そもそも私が「●●病院で産むよ」と言っても、「どこそこ?」というくらいで、実際に1人で行けるかどうかも危うい感じ。

ケアマネージャーさんや病院のスタッフとも相談し、「母を出産に立ち合わせない。生まれた次の日に、両親をケアマネさんが連れて行ってひきあわせる」ということになりました。

あらかじめ出産予定日を母には1週間ほど遅めに伝え、「その頃に産気づいて●●病院に行くことになったら、その時には連絡するから。それまでは何も心配しないで」と、私からも周りの人からも何度も母に言って聞かせました。

そして入院前日、最後に会う時も、私は母にそう言ったのです。

…が、その翌日の入院日。
午後、入院バッグを抱えて病院に行くと、看護スタッフが朝一番に母が来たと言うのです。

「お母様が『娘に会いにきた』っておっしゃるので『入院はまだですよ』とお帰りいただいたんです」

この病院を覚えて1人で来れたんだ!ということと、なぜ今日だってわかったの?!と私もびっくりしていると、そこに母がまた現れて、さらにビックリ!

なんなんでしょうね、母親の勘なんでしょうか。

「娘をよろしくお願いします」と挨拶して回ります。

しっかりしているようで、でも私のことを「お姉さん」と呼んだりするので、やはり心配です。

「計画通り、出産には立ち合わせることはしないでおこう」とケアマネさん、病院スタッフと相談。立ち会い予定だった子どもの父親にも「お母さんが来たら『今ちょっといないけれど、出産予定日にはまだ1週間もあるし、また明日来て』って言ってね」と伝えたのでした。

そして次の日、出産日。やはり母はやって来ました。

決められた対応をとって追い返す…も、また来ました。私は陣痛が始まりながらも母と会い「今日は生まれないよ。生まれそうになったら連絡するから」と芝居を打つ…も、また来る!その時には私は促進剤を入れて陣痛を起こしていたのですが、陣痛の間隔がまだまだ長く、赤ちゃんが出てくるには時間がかかりそうな状態でした。

なのに、「娘に会ってから帰るわ」と、母は廊下の椅子で待ち始めたと言います。

既に分娩台にあがっていた私は焦りました。

「先生、生まれるの何時ごろになりそうですか?」
「このままだとギリギリ夕方か、明日になっちゃうかなぁ」

聞けば、硬膜外麻酔による無痛分娩では、普通の分娩に比べて時間がかかりがちなんだとか。

そこに迷いはありませんでした。

「じゃあ、無痛分娩やめます!麻酔止めてください!遅くなると、母が帰れなくなっちゃうんです!」

無痛分娩分お金を支払っているのに、途中でやめ、私はなんとか午後4時に子どもを生み落とすことに成功したのです。

子どものことでも大変なのに、親、両方のことを考えなくちゃいけないってすんごい大変だ…
1.4リットルの失血をした寒気の中、私はそう感じたのでした。

「出産日はまだまだ」と言われていたことなんてすっかり忘れて、母は生まれたての猿のようなベビーを見て、まだ明るいうちに帰って行ったのでした。

それが「ダブルケア」の辛さのピーク…なんてことはなく、毎日毎日いろんな形で大変さを増していってます。

私のケアなんか誰もしてくれないので、私はいよいよもってヘトヘトです。

さて、ここでそんな私のファミリーの紹介をしますね。

愛すべき家族

そんなこんなで生まれた第一子は、男の子。

2020年11月で1歳4ヶ月を迎えました。むっちむちでポヨポヨで、母が溺愛しています。

妊娠中から頼りなかった子どもの父親は、盆と正月以外は休みをとらせない方針の雇主に従順すぎたため、さよならをしました。

シングルマザーになった私は、子どもと2人で実家から徒歩20分のところに住んでいます。

もともと私はアメリカに留学後働きながら暮らしていたのですが、父が脳梗塞で2回倒れたことから帰国。

その後、ゆるく実家にて父の介護をしてきました。

とはいえ、着替えなどの介護は母がやり、私は2人の生活を手続き上、金銭上援助するといった形でした。

2015年、父が脊柱管狭窄症の手術を受けました。

手術で右手の神経が麻痺してしまい、その後パーキンソン病に。現在、要介護4です。

そして、その2015年の父の手術の際、母が急におかしくなりました。

入院の持ち物リストを読んでも何を入れているのか忘れ、私が入院バッグを作ってもすぐに取り出してしまったり、お見舞いに行ったかどうかも忘れてしまったり、その後、妄想に駆り立てられて攻撃になったり。

明らかに「おかしい」と思って通院をすすめても、母は頑なに拒否。

2017年春にようやく病院へ行き検査をし、アルツハイマー型認知症と診断されました。

一般的に日本で使われる認知症の薬アリセプトの副作用が強く出てしまったことから治療を諦めていましたが、アメリカで医師になった友人に「リコード法」という治療法を聞き、食生活や栄養バランス、睡眠、運動などの改善を行ったところ、大分落ち着き、MMSE(認知症スクリーニングテスト)は19点から23点まで戻りました。

現在、要介護1です。

私の介護は2015年以降は、より積極的なものになりました。

本当に介護というものは「突然」やってくるものなのだなぁ、と思います。

それまでの父の介護はただの「お使い」みたいなレベルのものでした。

ケアマネさんや様々なサービスを使い、出張の少ない仕事に転職するなどしながらもフルタイムで働きつつ、私は実家で暮らし、両親の生活を支えて来ました。

実家を出たのは、妊娠中。

焼き魚のにおいをかぐと悪阻がひどくなり、気持ちが悪くなってしまうようになった私に対し、母が毎日くる日もくる日も魚を焼き続けたからでした。

何度もお願いしても忘れてしまい、魚を焼く…アルツハイマーは病気だから仕方がない…と今までは我慢して来たのですが、こればっかりは私も生理現象だからどうしようもなく、耐えられなくなってしまったのです。

実家から歩いて20分のところに、当時はまだ一緒になろうと考えていた、お腹の子どもの父親とアパートを借りました。

一緒に暮らすにつれ、彼もまた「ケア」を求めてくる人間であることがわかり、出て行っていただきました。

「ダブルケア」にこれ以上「ケア」する人間を加えるわけにはいきませんからね。

これは、今でも良い決断だったと思ってます。

両親と子どもの決断を、私が全て行い、決断につぐ決断の毎日で決断をすることに慣れてきました。

もしも我が家にお金があったのなら、私は両親を施設に入れて、子育てと自分の人生に集中していく選択肢を選んでいたと思います。

けれど、我が家にはお金はないのが現実です。

特養に入るにしても、介護度4の父ですら75人待ち。

決断をしようにも、これ以上の選択肢がない。

現実的に自宅で介護するより他はないのです。

なんて書くと、達観した偉い人間のようですが、全然そうではなく毎日の大変さをTwitterやブログに吐いて凌いでいます。

そして、「子どもが一番大事」と自分の中で順序を決めていても、介護と育児がぐちゃぐちゃになり、子どもに十分にかまってあげられなかったり…いつも悩んで愚痴ってます。

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1日のスケジュール

ダブルケアの経験談-カレンダーと時計

ぐちゃぐちゃになってしまうから、なんとか系統だてようとして組んだのが下のスケジュールです。

新型コロナの影響で保育園が閉園したり、登園自粛があったりしましたが、2020年の平日のベースはこれでした。

6時半 子どもと共に起床
7時20分 着替えをさせて、子どもの朝食を持って実家へ
7時40分 実家に到着。母にゴミ捨てや、洗濯を促す。
8時15分 朝食を作り、母と子どもに朝食(私は食べてきたと嘘)
8時45分 父を起こして、朝食を用意。
出不精の母を散歩に連れ、子どもを登園させるため実家出発。
9時20分 保育園ギリギリで登園
その後母をともなって散歩。私の自宅へ行き水分補給させた後、母を帰す
9時50分 始業(自宅勤務)
13時 母にビデオ電話 サプリメントを飲んだか確認。
飲んでなかったら言いくるめて飲ませる。
18時 終業
18時15分 子どものお迎え
18時半 帰宅・母にビデオ電話 サプリメントを飲んだか確認。
飲んでなかったら言いくるめて飲ませる。
18時45分 子どもに夕食を食べさせる
19時20分 子どもと入浴
20時 就寝
だが寝るわけがないので1時間くらい寝かしつけ
22時 寝落ちから復活、自分の夕食、食器洗い、掃除など

実家滞在中には、父から「お母さんが怒ってる」とか「また枕がなくなった」とか「リモコンがない」「シャツがないから買え」「本を買ってこい」「お金を下ろしてきてくれ」「暇だからケーブルテレビに加入しろ」などなど用事を言われます。

そして、私が自宅で働いていても、昼間で「お父さんが女(ヘルパーさん)と談笑していて、下に降りられない。あの女を、なんとか帰らせて」と電話があったり、夕方に母から「夕飯どうしよう」の電話があったり、なかなか落ち着きません。

そして夜は父から仰せつかった用事を済ませたりすると、あっという間に深夜です。

そして、この原稿はこの時間をあてて書いています。

もちろん、外の力もできる限り借りて対策を講じます。

自宅へ来てくださる各種スタッフは、ケアマネさんなどどうしても変えられない場合を除き、すべて男性に変更。

こまごまとした用事を頼めるヘルパーさんも週3回。

母から距離を置くために週2回、父には通いの入浴付きデイへ。

そして月に一度はショートステイ。

「私はまとも」と信じている母の方にも、父の用事できているふりをしてもらってヘルパーさんに様子を見てもらいます。

私の方も、ファミリーサポートやベビーシッターを登録。

特にシッターさんは毎週来ていただき、食事作りをお願いします。

色々と費用がかかります。でも、背に腹はかえられない。

それに施設に入れるよりは断然安い!と言って自分を慰めます。

でも、誰かがちょっと体調を崩して、熱を出したりしたら各種サービスは使えなくなって破綻します。

結構もろいスケジュールです。

子どもが自由に歩けるようになって朝に実家まで行く余裕がなくなってきた最近は、仕方がないので、朝もビデオ電話をかけるようになりました。

「登園する準備を手伝ってほしいから来て!」と芝居を打って、私たちの家まで来てもらうようにしています。

また家に戻ったら介護が楽になるのでは?と周囲から言われることもありますが、アルツハイマーの母が片付けられない小物類を子どもが誤飲する危険性があるために考えていません。

また、物理的距離があるので介護と育児の切り分けができるので、子どもにしっかりと集中する時間を設けています。

通うのも、急用で呼び出される時も面倒くさいですけど、仕方ないと割り切っています。

大変だけど、ダブルケアで良かったこと

介護に育児に、ダブルケアは本当に大変です。

介護の質は落ちてしまったし、実家の生活レベルは落ちました。

リコード法をきちんとやれないせいもあって、母の認知機能も前より下がってきてはいます。

でも、良かったこともあります。

それは、母が心底、孫を可愛いと思い、生きがいとして、笑顔になれることです。

それまでは、「自分はまとも」と信じようとしながら、でもやっぱりスッポリと記憶がなくなってしまう恐怖を感じ、よく泣き、そしていつも潜在的な不安が母にまとわりついていたように思います。

今も、状況は変わらないのですが、孫を見るだけでとろけるように笑います。

孫の名前を忘れたことは一切なく、朝などに「私たちの家まで来てもらう」のも孫に会いたいがために何度も迷いながら道順を覚えるに至ったのです。
(それまでは、いなくなった時に探し回ったり大変でした。今後またそういうことがあっても対応できるように近日中に位置を捜索できる携帯電話に替える予定です)

介護があるから、結婚はもとより子どもを持つなんて無理だろうなと思ったこともありました。

結婚はできてませんけど(笑)、でもダブルケアでも子どもを産んで良かったなぁと思います。

母のあんな笑顔をまた見ることができたし、母の中の認知症と抗うパワーを垣間見ることができました。

だから、「ダブルケア」になるからといって育児を諦めなくてよかったな、と私は思います。

でも、母のことは大好きとはいえ、それは母が私を愛してくれたし、「娘」としてだろうと「姉」としてだろうとまだ私のことを愛してくれているから。

私の出産日を勘で感じ取ってくれるほどに。

けれど、母が私を愛する人間として認識しなくなる時、あるいは徘徊や排泄の問題が発生し、私の介護の負担があまりにも大きくなったら、その時はまた新しい決断をすることになるんだろうなと考えています。

私にとってまず重要なのは、母の前に「子ども」だからです。

子どもにとって、この生活は負担なのかしらと疑問に思うことがあります。

私自身「もっと構ってあげられなくてごめんね」と毎日のように思うのですが、気にしているかな。飽きているのに毎日3度テレビ電話に出されるのも、嫌なのかな。

いつか、言葉を自由に扱えるようになったら、子どもに聞いてみたいと思います。

「ダブルケア」やりたくなかったし、「介護」自体、他の人にも追い詰められた上でやってもらいたくない大変なものです。

こんな苦労を、自分の子どもにもしてもらいたくない。

自分のこれからの人生をきちんと責任を持って組み立てていき、自分で自分の世話をできるよう、できない様であれば他人に対価を払ってできるように準備をしていきたいと思います。

きっと、アルツハイマーにならなかったら母も、そうあろうと思ったに違いありません。

でも、そうなってしまったのだから、まぁ、なんとか、できる限り長く一緒に笑顔でいることをがんばりたいと思います。

「ダブルケア」は、人間のやるべきことではなく、仕方なしにやることです。

だから、せめて笑いだけはなんとか保ちたいなと思います。

5,000字を書くのは大変でした。

でも、なんとか超えました。気づいたら、7,000字目前。最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。

少しは失笑でもしてもらえたのなら嬉しいです。

無謀なチャレンジ、辛くとも超えると楽しいものですね。ダブルケアもそうありたいものです。

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