厚生労働省が2016年11月に発表した「平成27年国民健康・栄養調査結果の概要」では、日本人の1日に歩く平均歩数は、男性7194歩、女性6227歩となっています。
男性の平均歩幅が約70cmと言われているので、歩数に歩幅を掛けると、健康な成人男性は約5kmは毎日歩いていることになります。
いうまでもなく、歩くという動作は生物の基本となるとても大切な動作です。リハビリや介護の現場でも「歩きたい」という希望を話される方がたくさんいます。
私たちは日常生活の中で無意識に歩く動作を行っていますが、どのようなメカニズムで歩いているのでしょうか。
実は、歩行には驚くべきメカニズムが働いています。
今回は人体に元から備わっている歩行のメカニズムについてご紹介します。
これを知ることで、普段どのようなことを意識して歩くと良いのか理解することができます。
この記事を書いたライター
西野 英行(にしの ひでゆき)
「理学療法士。福祉用具専門相談員として介護業界で3年間勤務した後、理学療法士の資格を取得。リハビリ専門回復帰病院にて勤務。その後、訪問看護ステーションに勤務。月に40人以上のリハビリ指導を担当し、患者やその家族から寄せられる歩き方や転倒予防の相談にのっている。本業の傍ら、個人でリハビリに関するブログ(未来のPT)、チームで介護系のサイトを運営。
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歩行のメカニズムの凄さ
歩行は、自分の体を「運ぶ」動作です。
想像してみてください。
70Kgの重さの荷物を背負って5km歩くのはどれほど大変でしょうか?
70Kgというと、高さ170cmの3人用冷蔵庫くらいの重さです。冷蔵庫を背負って5km歩くイメージです。
実際、男性であれば体重が平均70Kg前後あるので、それくらいの重さの荷物を運んでいるようなものですよね。
しかし、上述のように、現代の日本人は1日に平均5kmもこの重たいモノ(体)を毎日運んでいることになります。
もっと歩こうと思えば、さらに数十Km、数時間も歩き続けることもできますよね、すごいことだと思いませんか?
これは人体の歩行のメカニズムが働き、効率的に歩くことを手助けしているからです。
一般的に、長時間楽に歩くためには、体力・足の筋力を鍛える必要があると思われがちですが、それ以上に歩行のメカニズムを上手く利用できるような体の状態を維持することの方が圧倒的に重要です。
以下に紹介する歩行のメカニズムが機能しなくなると、効率的な歩行が出来ず、本当に重い荷物を運んでいるような状態で歩いていることになり、少し歩くだけで疲れてしまいます。
人体は以下のような歩行のメカニズムがあるおかげで楽に長時間歩き続けることができ、さらにスマホを見ながら歩いたり、歩きながら二重の課題をこなしたりすることもできるのです。
歩行のメカニズム
歩行のメカニズムで、脊髄での歩行リズムの制御機能(CPG)や物理的なメカニズム(倒立振り子モデル、ロッカーファンクション)を中心にご紹介します。
CPG(Central pattern generator)
歩くときの足の運動のリズムはどこで作られているのでしょうか?
大脳だと思う方が多いと思います。
しかし、歩行の基本となる周期的なリズムの生成は、脊椎動物において、大脳ではなく、脊髄にあると考えられています。
これを証明する実験として、「除脳ネコの実験」というものがあります。
Grillnerらの実験によると、大脳を取り除いたネコでも、脊髄が残っている限りトレッドミルの回転速度に合わせて歩くことができるとされています。
この機能を、Central Pattern Generator(CPG)といいます。
このCPGによって、脊髄で反射的に歩くときの運動のリズムが生成されています。
もちろん、坂道や凸凹道を歩いたり、障害物を避けたりするときの意識的な歩き方の変化は大脳で制御されていますが、普段の無意識な歩行では、CPGが働いています。
なので、人間は歩きながらスマホを見たり、考え事をしながら歩くこともできるのです。
このように、私たちが普段何気なく行っている歩行にも、精巧な身体の機能がたくさん関係しています。
倒立振り子モデル
人間の体で一番重い部分はどこかご存知でしょうか。
立っている時は骨盤の真ん中辺り(正確には第二仙骨のやや前方)に重心があります。
この一番重い骨盤を前に運ぶ動作こそが”歩行”であるといえます。
骨盤を支える足が前に出され、骨盤を前に運ぶ様を「逆向きの(倒立)振り子」だとイメージしてください。
これは「倒立振り子モデル」といわれ、骨盤が落下する位置エネルギーを、体を前進させるための運動エネルギーに変換するために非常に重要なメカニズムです。
つまり、振り子の原理を利用して人体は効率よく体を前に運び、歩行しているのです。
倒立振り子モデルを利用し、足を前に出し、地面を後ろに蹴り、骨盤を前に出す。この動作を繰り返します。
これが歩行の推進力を生み出す基本的なメカニズムとなります。
倒立振り子モデルが成立するための条件として、以下の3つの回転軸がうまく機能していることが重要になります。
ロッカーファンクション
人が歩くとき、以下の三つの回転軸が機能することで体を前に進めていくことができます。
この三つの回転軸の機能のことを”ロッカーファンクション”といいます。
ヒールロッカー
歩き出した時、まず初めに地面に踵が接地します。
両足の踵の骨は、触っていただくとわかりますが、丸い形状をしています。
接地したときに上から落ちてきた力(体重)が、踵の丸みによって前方向にスムーズに変換されます。
この時のメカニズムをヒールロッカーといいます。
歩くときにできるだけ足を前に出し、踵から接地することで、効率よく体を前進させるための推進力を得ることができます。
このときに、骨盤の位置は上昇を始め、位置エネルギーを蓄えていきます。
ヒールロッカーが機能するために重要な筋肉が大殿筋です。
大殿筋とは、おしりの筋肉のことです。
おしりにある大殿筋は、人体の筋肉の中でも太腿にある大腿四頭筋の次に大きい筋肉です。
足を前に降り出し、踵から接地する際に大殿筋が上手く機能していないと、股関節から体が前に曲がってしまい、ヒールロッカーが機能しません。
また、踵から接地するためには足先(つま先)を上げる必要があり、前脛骨筋という、足先をあげる筋肉が効果的に働いていることも重要です。
一般的に”すり足”と呼ばれる歩き方では、踵から接地せず、足底で接地してしまいます。
この歩き方は推進力を得にくいので効率が悪く、長距離を歩くには不向きです。
アンクルロッカー
踵で起きるヒールロッカーの次に、足首で力の変換が行われます。
踵を着いた後に足の裏に垂直に体重が乗った後、足首を支点にして前方向に力が変換されます。
これをアンクルロッカーといいます。
このときに骨盤は最も高い位置にあり、高まった位置エネルギーが骨盤の前方への落下に伴い、運動エネルギーに変換されていきます。
ブーツなど、足首の曲がる角度が制限されるような靴を履いていたり、捻挫や骨折などにより足首そのものに関節の可動域制限がある場合、このアンクルロッカーがうまく働かず前方への推進力が途中で止まってしまいます。
また、ふくらはぎの筋肉(下腿三頭筋)の柔軟性が低下していると足首の柔軟性が足りず、スムーズな推進力が得られません。
脳卒中などの運動麻痺により、下腿三頭筋が麻痺していたり、筋肉の緊張が異常状態にある方は、アンクルロッカーが機能せず、効率よく歩行することが難しくなってしまいます。
その際は、足首に付ける装具を使用したりして対策を取ることもあります。
フォアフットロッカー
最後のロッカーは、フォアフットロッカーです。
これをフォアフットロッカーといいます。
このとき、足部は自分の体よりも後ろにあります。
骨盤は徐々に前に落下していき、位置エネルギーが前方へ推進するための運動エネルギーに変換されています。
足の指の付け根の丸みの部分で後に地面を蹴り出すことで、さらに強力に前方への推進力が得られます。
このとき、膝と足首がしっかりと曲がらないと体の後ろに足を持っていくことができず、フォアフットロッカーが働きません。
歩行のメカニズムを利用した本当に効率の良い歩き方
上記の歩行のメカニズムを考慮した、効率の良い歩き方のポイントは以下になります。
- 背筋を伸ばす
- つま先を上げて踵から地面に接地させる
- 歩幅を大きくする(足を大きく前に出す)
なぜこれらのポイントが重要なのでしょうか。
まず、背筋が曲がっていると、足を前に大きく降り出すことができません。
まずは背筋を伸ばして、体幹を垂直に保つことで足を大きく動かせるようにしておくことが大切です。
歩き方がすり足になってしまう方は、脊椎の圧迫骨折などの既往により、背骨が曲がってしまっていることが多いです。
背中が曲がっていると、足を大きく前に出せないためにすり足になってしまう傾向があります。
足を前に大きく出し、踵が地面に接地することで上述のロッカーファンクションが働き、それ以降のアンクルロッカー、フォアフットロッカーと続いていきます。
つま先をしっかりと上げて、踵から地面に接地することも重要です。
また、歩幅を大きくすることで、足が体の後ろにしっかりと流れるようになるので、フォアフットロッカーも働きやすくなります。
できるだけ足首の動きを阻害するような靴を履かない(ブーツなど足首を覆う靴)ことでより効率良く歩行のメカニズムを使って歩くことができます。
まとめ
私たちが普段自然に行っている歩く動作は、多くのメカニズムによって補助されています。
脊髄の歩行リズムを制御する機能(Central Pattern Generator:CPG)により、歩行の一定のリズム生成されます。
物理的には、倒立振り子モデルにより、人体の一番重たい部分である骨盤を前に運ぶ推進力が得られます。
また、足にはロッカーファンクションと呼ばれる機能があり、位置エネルギーが運動エネルギーへ効率的に変換されます。
- ヒールロッカー‥踵
- アンクルロッカー‥足首
- フォアフットロッカー‥足の指の付け根
それぞれの部位が支点となり、より効率的に体を前に推進させる機能が働きます。
歩くときには、背筋を伸ばし、足を大きく前に振り出して、踵を接地するようにすることと、これらのメカニズムが効果的に働きやすくます。
踵ではなく、足底で接地する、すり足では前方への推進力が発生しにくくなり、疲れやすい歩き方になってしまいます。
いつまでも健康に歩くためには、体力や筋力を鍛えることも大切ですが、歩行のメカニズムを効率的に利用できる体、関節の状態を維持しておくことも非常に重要です。
ぜひ参考にしてみてくださいね。